あたまの中で眠る / Sleep in My Head

制作意図・コンセプト

死者の記憶は、その人を愛した人々のあたまの中で眠り続ける。本作は、作者が祖母の死を通じ「生と死」と向き合っていくプロセスを描いたメディア・パフォーマンス作品である。上演は、作者・平本瑞季本人のほぼ一人芝居によって行われる。祖母を取り巻く家族のやり取りや作者の祖母への強い想いがナレーションを軸に舞台空間へ広がっていく。作者自身のパフォーマンスと映像を重ね、セルフドキュメンタリーを拡張していく試みである。作者は、生前のまるで死の準備をしていたかのような祖母の素振りを見て、生きている時から刻々と「死」が始まっていることを感じる。生きることと死ぬことの境目は一体どこにあるのだろうか。そして、亡くなった人の記憶は一体どのように残すことが出来るのだろうか。そこで、作者は自分の姿と若い頃の祖母の姿を重ね、彼女の生きた記憶を辿っていくことにする。そこには、瑞々しい一人の女性の人生があった。


制作プロセス

作者は、祖母が亡くなった病院と同じ病院に入院したことをきっかけに、3年前の祖母との別れの日々を回想していく。舞台上では、インタビューやヴィデオカメラのライヴ中継を交えながらストーリーが展開していく。
技術面では、映像と作者自身のリアルタイムの身体的な演技を交差させ、新たな言語空間を紡いでいく。過去の回想の独白、母や祖母の親友との電話など「会話」のメディアによる拡張。他にもライブカメラ中継など様々な仕掛けを用いてそれらとパフォーマンスの新しい関係の構築を試みた。おばあちゃんも、ハムのすけも、すべての今亡き人々も。かつての生は、誰かのあたまの中で、今もどこかで生きている。そして、生まれゆくこれからの命へ、元気に祝福を送ってくれているのだ。


私が葬儀屋でアルバイトを始めてから4年の月日が経った。誰かのことを想起し、祈る場所、それはお墓なんじゃ無いかと私は思う。そしてお葬式も。そのような誰かのことを想う、誰かの明日を考える、想像する、思い出す、きっかけを作るような作品が作りたいとずっと思っていた。生まれた時からおばあちゃんだったおばあちゃんがそうではないとわかった時。当たり前のことがそうじゃ無くなった時。私の中で衝撃が走った。そして、驚きと発見があった。そこには、見えてきた景色があったのだ。これは「病室からの景色」の続編のような作品である。この作品を通して、今は亡き愛する祖母との対話を試みた。

back to works